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歴史の舞台を訪ねて…(1)

新撰組のお墓?

先日仕事で会津若松を訪ねた時のこと。常磐道という高速道路を会津に向け
てひたすら走る…約140年ほど前、この近辺が一時代の終焉を告げた場所
だったとは今では想像できないような、静かなのどかさに包まれている。
 
幕末騒乱。そう、会津戊辰戦争…かつて、この道を薩長を中心とした官軍が
進軍したことだろう。車で30分ほどの距離を、彼らはどのくらい時間をかけ
て歩いたのだろうか。そんなことをふと考える。土佐の板垣退助や新撰組の
土方歳三も歩いたのだろうか…
 
ちょうどお昼の時間を利用して、念願のある場所に行ってみた。飯盛山。
ご存知のかたもいるでしょう…会津百虎隊が壮烈無比な自刃を遂げた場所で
ある。息が切れるほど急で長い石段。それを登りつめた先に、それはあった…
映画やテレビドラマで見覚えのある、卒然と並ぶ彼らの墓標。お香の煙が、
彼らの無念さを後世に伝えるべく、ゆらゆらと漂っていた。時代を刻んだ古
い石面の記しをそっと覘くと、そこには若年で亡くなったという事実が無造
作に目に飛び込んでくる。たしか会津藩には藩祖・保科正之が定めた何か条
かの家訓(かきん)=藩の法令=があって、その中には「女子とはみだりに
口を聞いてはいけない」という一ヶ条もあったと記憶している。まったく今
の時代では想像すら出来ないことが、平気でこの地で守られていたんですね。
 
そんな彼らが見た最後の景色…その場所も見学ポイントの一つになっていた。
同じ角度で立って、彼らがみつめた視線を辿ってみた…時代を下った現在の
景色は、彼らが当時見た衝撃的な映像とはまったく違うんだろうけどその方
向には確かに天下の名城・鶴ヶ城が、かすかに望めた…

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