4/16、岩手県大槌町で避難所暮らしをしている、おばちゃんのところへ行ってきました。
おばちゃんは、父親のお姉さん。
大槌町には2人のお姉さんがいますが、1人のお姉さんはまだ見つかっていません。
石巻から45号線を北上していけば3時間半くらいで着くところ、
まだ海沿いの道路が整備されていないことと、安全優先で東北自動車道を北上し、
釜石自動車から沿岸沿いの大槌町を目指しました。
途中、パトカー20台くらいに先導されました。
お巡りさん達は釜石方面へむかってました。ごくろうさまです。
道の駅 「遠野風の丘」付近で
”支援ありがとう” ”救援お疲れ様です”という看板を見つけました。
遠野の町は家屋の被害が多いように感じられました。
山越えをして、石巻から片道220キロ弱。
5時間かかって大槌町の避難所「城山体育館」へ到着。
海沿い4~5キロ手前から様子が変わってきました。
津波が川を逆流した爪跡がまだ生々しく残っていました。
そして海沿いは、爆撃を受けたような光景。
津波と火災に破壊された大槌町は焼け野原状態。
鉄骨だけが痛々しく残っているだけ。
とても苦しくて写真は撮れませんでした。想像以上の惨劇でした。
避難所の城山体育館には200人くらいの方々が避難していました。
おばちゃん夫婦を発見。1.5畳くらいの狭いスペースに2人はいました。
涙の再会でした。
震災から1ヵ月。
70歳を過ぎるおばちゃん夫婦は避難所生活にかなり疲れ果てていました。
避難所は物資は困らない程度にあるとのこと。
ただ、まだライフラインが復旧していないので
配給される食事は菓子パン、コンビニおにぎり、缶詰など。
私たちが行った日はドーナッツ、ゆで卵、トマトが配給されていました。
若い人や子どもはうれしいかもしれないけど、高齢者にとっては辛い食事だと思う。
母親が少しでも栄養を摂ってもらうようにと、
おにぎり、青物野菜、煮付けなど差し入れ。
久しぶりの青物、煮付けに喜んでいました。
大槌町は町長をはじめ役場職員の多くが津波で流され亡くなってしまいました。
そのため行政の動きがだいぶ遅れているとのこと。
石巻などは、行政なども動きだし、またボランティアなどのサポートもあり
復興、復旧にむけて動き出しているものの、
大槌町ではそれを感じることはできませんでした。
ここだけ3.11から時間が止まっている感じがしました。
そして被災地、避難所の格差を他県にきて感じました。
避難所生活の長期化で体調も思わしくないおばちゃん夫妻。
我が家(石巻)に来ることを勧めました。でも答えはNOでした。
海には裏切られたけど、大槌町から離れたくない。
また海を見ながら大槌で暮らしたいと言ってました。
まだ、もう一人のおばちゃんの行方がわかりません。
見つかるまで何度も大槌に行く。父親のためにも・・・。
↑避難所に兵庫県から温かいメッセージが届いていました。
心がケアされるようなキレイな色。温かさを感じました。